待望の第二子が産まれるまでの事
このブログの存在を忘れていた。
9年前に妊娠から出産、育児までを記したアメブロを消してしまったことに後悔して、次回出産した暁にはまたブログを始めよう!と思っていたところに、はてなブログさんこんにちは😃
前回からもう1年以上経っちまった。
私は、昨年の今頃、不妊治療の末に妊娠をした。ちょうど今頃、つわりで体調不良の中、始めたばかりのデータ入力のお仕事をしていた。
後ろにコナン君いる?ってぐらい、麻酔銃で打たれたように眠くて眠くてミスを連発していた。
当然ながらパートを初めてばかりだったので、妊娠した事は同期をはじめ誰にも言ってなかったので、私は常に眠くて何かの病にでもかかってる人。プラスして研修テストも眠くて指導内容もあまり覚えてなかったので、当たり前に追試で私って出来悪いでしょ風オーラを醸し出してた。←結構屈辱的だったけど
そんな中、仕事に行く前に突然の腹痛で朝方救急で病院に連れてってもらう。
卵巣がまた腫れてると言われ、5日間の入院生活。
まだ6.7週目だったので、
お腹の赤ちゃんは大丈夫だろうか。
こんなに点滴して大丈夫だろうか。
産科の入院ではないので、回診の際、婦人科のナースはお腹の赤ちゃんについては何にも言わねーし、これと言った検査もほぼなく、ただただ点滴してるだけで、本当大丈夫かなと不安な毎日の中入院生活を送った。
退院検診で心拍が確認されたので、ほっと胸を撫で下ろした。
産もうと思っていたクリニックは人気病院で妊娠がわかって直ぐに予約をしたけど結局、初診を受けれたのは8週目だった。
ただあんなに具合悪かったのに、その日の朝から体調が良く、まさかね。と思いつつも、待合室で 『8週目 体調良くなる 流産』なんて検索をしていた。
その途中で、診察室へ呼ばれて、エコーをしてもらうと、
先生から『うーん…心臓が動いてないね』のまさかの言葉だった。一気に血の気が引き、よく聞く話だけど、え?まじで、私が?と妙に客観的な感情だった記憶がある。
予感が的中してしまった。
この前まで動いていた心臓が止まってしまったんだ。
席に戻り先生から、よくある事だからね。お腹の中綺麗してあげたらすぐまた戻ってきてくれるからね。こんなに流産の手術も毎日あるんだよと慰められ、オペの準備の話…日程を聞かされてるうちに涙が止まらなく出た。
先生と看護師さんに励まされた記憶がある。
会計で、隣に居た若いご夫婦が、
『母子手帳って、今から市役所に取りに行っても間に合いますか⁉️』と幸せオーラ全開で受付のお姉さんに聞いていた。
私も本当は今日、こんな幸せな気持ちで帰る予定だったのになぁって思うと、涙で会計の用紙がよく見えなくなった。
手術の日は朝から入院し、赤ちゃんの泣き声が聞こえる入院病棟で、点滴の処置をし、昼前にオペ室に入った。
手足を拘束されて、色々な物に繋がれて台の上に寝た。
看護師さんと助産師さんが手を繋いでくれていた。
助産師さんに、また戻ってきてくれるからね。と言われて散々泣いたのにまた涙が溢れ出た。
冷たい麻酔が首の辺りからジワジワしてきて、気づいたら目を覚まして、あまり覚えていないけど、生理痛のめちゃくちゃひどいバージョンの痛みがあり、意識が薄い中痛い痛いと悶えたのは覚えてる。
座薬をすぐ刺してもらい、意識朦朧でオペ台の上にしばらく待機していた。
意識が戻ってきて、車椅子で部屋に戻り2時間ほど寝て、自宅へ帰った。
腹痛が辛くて夜中まで痛いと苦しんだ。
手術するまではこれでもか!というくらい、
泣いて泣いて泣きまくったけど、不思議とオペが終わると涙も止まった。
人が亡くなった時、火葬場まで号泣で、いざ骨上げになると涙が不思議と止まるアレと同じなんだろうか。
稽留流産がよくある話とか、そんなのわかってるけど、よくある事でハイ終わりなはずはないのだ。
とっても可愛い、頭と手足と小さな心臓がわかるエコー写真。
だった8週間しか生きてなくても私の赤ちゃんだったのには違わない。
その週末、夫と水子供養をして、お空にさよならをした。
でもずっとずっと忘れないからね。
また戻っておいでねと、心の中で何度もさよならをした。
今も生後1ヶ月の娘を抱きながらも、お空のベビーを思い出す。